池江璃花子選手
水泳の池江璃花子選手が白血病であることを自身のツイッターで公表されました。
またツイッターでは「神様は乗り越えられない試練は与えない・・」といったことも言われています、こうした言葉に池江選手のポジティブな人間性が表れていると思います。
池江選手には、何はともあれ回復に努め早く元気を取り戻していただくことを祈ります。
たまたまつけていたテレビから、この「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を聞きまして、「ああそうだ、このことを書いておこうと」私の中でテーマ性を感じましたのでそへんを書いてみます。
これから先は、池江選手の話題ではありません。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
この感覚は多くの方が持っているものだと思います、もちろんポジティブなものではありますが、Beコン的には少し不利な面があります。
つまり神との関係性の誤解です。
神が私達に試練を与え、その試練を乗り越えて私たちは成長する。
ライオンは自分の子を谷底におとして・・と昔アニメの「巨人の星」で言っていましたが、あの感じです。
神が愛のある試練で私達の成長を促している、ポジティブではありますが、これだと神と私達が離れています。
Beコンのコンセプトを理解する段階で「思い」をコントロールするというのがあります、思いをコントロールすることはとても重要ですが「その思いを出しているあなたはどんな人ですか?」というのも重要です。
「神と分離した、ちっぽけな人間がポジティブな思いを出そうとしている」それでいいのですか?ということになります。
現実と違いますよね。
実際は、私達こそが神であり、肉体をまとってこの次元を体験している神です、試練に見えるものは、この次元にやってくる前に前もって準備していたものです。
今、時代の変わり目ですがこの変化の中で何か役割を持っている方は、試練に思えるものに直面している方が多いと思います。
この時、神様は乗り越えられない試練は与えないというのではなく、これは自分で準備していたものだから大丈夫、あるいは自分で準備していたのだから自然にうまくいくと考えてはどうでしょう。
宇宙の法則として「意識を向けたものが拡大する」というのがありますが、何に意識を向けるか、何処に意識を向けるかは自由です。
私たちは自由に意識を向けることが出来ます、それが自由意思です。
自由にどこにでも意識を向けることが出来て、意識を向けたものが拡大するのならば、意識を向けるものに注意しなくてはなりません。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」と考えたとき、無意識に神との分離に意識を向けていることに気づいてください。
以上