自然の世界は「弱肉強食」ではない!

つい先日、テレビで動物の生態を紹介する番組を放送していました。

私は、仕事の合間に親の介護をしながら主に音声を聞いて時折画面を見たりした程度なので詳細は理解できていないのですが、だいたい以下のような内容でした。

角の生えたシカのような動物の話しで、その動物のオスはオス同士が力比べのようなことをして勝ったほうが群れの中心に残り、負けると群れの外側においやられるというもので、それを繰り返すと自然に強いオスが群れの中心にいて弱いオスは群れの外側になることになります。

群れの中心にいる一番強いオスは、たくさんのエサを食べ、メスの80%と性交を持つということでした。

番組の中で戦いに敗れ続けた弱いオスが群れの一番外側で疲れて座り込んでしまいます。

すると、その様子を見ていたハイエナが何匹もやってきて、そのオスを倒して食べてしまうという番組です。

 

野生の厳しさ、少しでも強い優秀な遺伝子を子孫に残そうとする自然の摂理のようなものを伝えるという意図の番組でした。

 

10年前なら、この番組を自然の摂理として見る人も多かったと思いますが、昨今は違う見方をする人が増えているのではないでしょうか。

私も、まったく違った見方をするひとりです。

 

動物は人間を映す鏡

 

私が子供の頃、犬は「分睡(ぶんすい)」といって、分けて眠るのだと教えられました。

確かに寝ている犬に近づくと、犬はすぐに目をさまし首を立ててあたりを見回し、大丈夫ならまた寝たり危険を感じたらその場を離れたりしていました。

しかし、今は道の真ん中で熟睡していて通りがかりの車が遠慮がちに小さくクラクションを鳴らすとやっと目をさまし「なんだ、めんどくさいな」と言わんばかりに場所を移動するような光景もよく目にします。

昔の犬では考えられないことです。

 

また、江戸時代から明治時代に時代が変わったころの話しで、山で人を襲うオオカミが良く出没していたのに、環境が破壊されたせいか最近オオカミが出なくなった、という記述を読んだことがあります。(うろ覚えです)

しかし、環境が破壊されたといっても近代のように山が切り開かれてビルが建つというのではないので、それが環境破壊といっても納得できません。

それより刀を持ち歩きともすれば人を切りつけていた時代から、そうしたことが基本的に無くなった明治になったことで人々の心を反映して人を襲うオオカミが出なくなったと考える方が、私には理にかなっているように思います。

宇宙の人たちは、自然は人間の心を反映していて「今にライオンと羊が一緒に寝転がるようになる」と伝えています。

動物は人間の出す波動を敏感に感じ取ります、私たちが動物たちの自然の営みと呼ぶ生態は人間の意識を反映したものです。

 

競争があるから社会の進歩が生まれるなどというウソを信じ込まされ、競争が善であるかのように言われる時代では、競争の勝者、支配的なものが多くを独占し、その陰で多くの敗者と呼ばれる人々が苦しんでいます。

勝者として世の中を謳歌するには敗者に同情する感受性を封印しなくてはなりません。

 

「負けず嫌い」などと言い、自分が一番にならないと気がすまない、何でも一番になることを目指すなどという、ひどくモラルを欠いたパーソナリティーがもてはやされる現代では、動物たちの生態が今のようであるのも当たり前の話しです。

自然の世界は「弱肉強食」だと言われてきましたが、これは今の人類の在り方を象徴しているにすぎません。

これからは動物の生態は、人類意識の反映だというように意識を転換したいものです。

 

ライオンと羊が一緒に寝転ぶ自然を目にするのがある意味、人類の勝利です。

以上

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