
「歴史は繰り返す」と言われてきました。
歴史は繰り返すので「歴史を学ぶことは未来を知る道しるべになる」「歴史を学ぶことで今をより深く知ることが出来る」と言われてきました、確かに私達はそんな時代を生きてきました。
しかし、この新型コロナウイルスから始まる一連の流れは、「繰り返す歴史の終わり」の始まりです。
この一連の流れから、もうすぐアメリカの911テロの真実が表のマスコミでも明かされることになると思いますが、これまでも911の様に自作自演の被害を演出し「あいつらはこんなに悪い奴らだ」と大衆をアジテートして戦争を仕掛けるような行為が繰り返されてきました。
そうした意味で911のテロも繰り返す歴史のひとつだったかもしれません。
これから時代が変わります。
このブログでも時代が変わると言って来ましたが、今年、大きく動いている世界の状況は繰り返す歴史の中の出来事ではなく、パラダイムが変わりもう歴史は繰り返さないことになる変化の始まりです。
へんな例えですが、将棋を例にとると勝つために過去の対極を勉強することは有効です、過去に同じような対局は沢山あり、その後の展開がどうなったかを検証することはとても役立ちます。
しかし、将棋のルールが変わり、駒の動かせる範囲が変わってしまったらどうでしょう。
もう同じような対局はありえません。

世の中の動きは複雑に変化しているように見えますが、人々が行う人生ゲームのゲームの性質、ルールが同じなら同じようなことが繰り返され、歴史は繰り返すということになります。
しかし、基本となるゲームの性質、ルールが変わってしまえば、もう歴史は繰り返さないことになります
これからくる大きな変化は、価値観の変化と言っても良いかもしれませんが、基本となるゲームの性質、ルールが変わるものですから、歴史はもう繰り返さないと私は思っています。
今までのルールには飽き飽き
それではどのような変化なのかという話ですが、その前に今までのルールをおさらいしましょう。
今までの時代の基本ルールは限りあるものを頑張って少しでも多く自分のものにする、場合によっては奪い合ってでも自分のものにする、自分の分を確保することが出来なければとても困った状況になる、困った状況になるのは確保できない本人が悪い、といったような基本ルールでした。
限りあるものを奪い合うのが普通であり、そうした競争は人類の発展につながり、良いことだとされて来ました。
こうした基本ルールの下での権力者は効率よく人々から搾取することを考えます。
効率よく支配や搾取を行うために、行いたい事、決めたい取り決めなどをあたかも支配や搾取を受ける人々のためになると思い込ませる技術が必要になります。
その技術が「政治力」でした。
こうした基本ルールの下では組織は腐敗します、初めは善良な目的で出来た組織も、やがて上に立つ人が自分の利得のために組織を利用し始めるのが普通だからです。
官僚も政党も外郭団体も企業も様々な団体も、現在そうした弊害が噴出しています。
世界的にみれば、私がSUGと呼ぶようなグループが効率よく世界を支配して世界から搾取するシステムを構築しました。
(SUGは私の造語で、世界を裏から動かす組織です。詳細は上のことばの解説で)
現在の社会の基本システムの大部分をSUGが構築したといっても良いと思います。
私は仕事柄、健康、医療には関心が高いのですが、抗ガン剤はガンに効かないのになぜ検証もされずに使われ続けるのか、投薬をしなくても良くなる方法があるのになぜそうした方法が否定されるのか、なぜ医学は自然治癒力を生かすことをしないのか、などなど他にもたくさん医学のおかしさを目の当たりにしてきました。
WHOであれ、厚生労働省であれ、製薬会社、大病院、などなど医療にかかわる組織は、病人がいなくなったら正直、困ります、病人に治らないクスリを長く飲み続けさせるなり、検診を受けさせるなり、ワクチン接種を促すなり、病気や病人を利用して利得を得ることが組織の目的になっています。
奪い合って自分の利益を確保しないと困ったことになるという基本ルールの下ではある意味仕方がないのです。利得のためには自然治癒力を否定し本当は身体のためにならないクスリの服用を勧める仕組みです。
以前は、なぜこんな状態が続くのかとストレスを感じていましたが、10年以上前からこの基本ルールの下では医療も利得の道具であり人々を本当の意味で健康にすることは出来ないのだと悟りました。
基本ルールの話に戻りますが、価値あるものを奪い合うゲームは、自分が困った状況になるのではないかという不安を増長しますので、ある程度、自分の分を確保してもこれで良いとは思えず、不安や欲望から、さらに多く確保しようと奪い合いに拍車がかかる仕組みです。
しかし、ここに来てこの「奪い合う」基本ルールの下では色々なことがうまくいかないことを多くの人が分かってきたと思います。
もちろん、上記のことを理論的に意識している人はまだ少ないと思いますが、本能的というか直感的に意識の深い部分では、それを感じている人が、一定のしきい値を超えたので、時代は後戻りできないほど大きく変わると思っています。
時代はどう変わるか?
さていよいよその変化ですが、細い道で二台の車がすれ違う状況を例に時代の変化を説明します。
二台の車が対面しますがすれ違うには道幅が狭い、そんなとき両方のドライバーはこの状況を俯瞰した視点で考えどちらの車がバックして道を譲るのが効率が良いか判断します、自分がバックするのが良いと悟ったドライバーは自分がバックするからと相手に合図して、速やかにバックをして道を譲ります、譲ってもらったドライバーは、ありがとうの合図をして通り過ぎます。
こうして二台の車は最も効率よくすれ違うことが出来ます。

見ず知らずの、たまたま居合わせた二人が共通の課題を話もせず、もっとも効率的な方法で解決する、ちょっとした出来事ですがこれからの時代を表しているように思えます。
これからの時代の基本的なルールは「全体が上手くいくために、自分はどうしたら良いか」ということです。
車の例のように当事者が2人の場合もありますし、小さなグループの場合もあります、また会社、組織、国家、地球全体など様々な単位がありますが、その場の状況に応じて全体の利益、全体が上手くいくために、今、自分はどうするのが良いかがその人の行動の指針になる時代が来ています。
地球上の多くの人が全体が上手くいくためにはどうすれば良いか知恵を出し合い、行動すれば良い世の中にならないはずがありません。
ただ、始めは自分だけがはじめて周りがそうしなかったら自分が損をするような感覚じがして少し障害になるかもしれませんが、まず小さな単位から初めて、気持ち良い成功体験を重ねることでみんなが変わっていくのではと思っています。
以上