人生ヤマアラシ

人生ヤマアラシは、私が冗談めかしに言っている言葉ですが、その意味を説明します。
もとになっているのは、ショーペンハウエルのヤマアラシのジレンマです。

ショーペンハウエルはドイツの哲学者で、ヤマアラシのジレンマは、全身に鋭い針を持つヤマアラシが、寒さをしのぐために寄せ合って温まりたいのですが、近づくとお互いの針が刺さり、痛いので離れるとまた寒いといったジレンマによる試行錯誤で、お互い針が刺さらないように温めあえる適度な距離感を発見していくという寓話です。
これを人間関係に置き換えて、人間もあまり近づきすぎるとお互いに傷つけ合い、離れ過ぎても寂しいというジレンマから適度な距離感を見つけ出すとした比喩に使われています。

この話がどうのこうのということではありません。
ただ、この話を聞いたときに私の頭の中に浮かんだイメージは、ウニやいが栗のようにトゲトゲの針をまとったヤマアラシが近づいてお互いの針が刺さるイメージでした。

私も何回か動物園に行きヤマアラシは見ていましたが、その時にヤマアラシのジレンマのことを思い出しませんでした。しかし、ある時、ショーペンハウエルにとって間の悪いことに、動物園でヤマアラシを見ているときに、ふとヤマアラシのジレンマの寓話を思い出してしまったのです。

話を聞いた時のイメージと違い、ヤマアラシの針は後ろ方向にたたまれていました。
ヤマアラシの針は普段はたたまれていて、危険が迫ったり相手を威嚇するときだけ針を逆立ててどこからも近づけないようにするものでした。

yamaarasi

そうです、よく考えてみたら、常にウニやいが栗のように針を立ててお互いが近づけなかったら、ヤマアラシはどうやって繁殖してきたのでしょう。
ヤマアラシの針は、必要に応じてたたんだり、逆立てたりできるので、寒いときにお互い体を寄せて温めあっても何の支障もなかったのです。

これは、ショーペンハウエルに異論を唱えたいわけではなく、ずっと以前に聞いたイメージ的な情報が特に精査されることもなく残っているということの一例として、私自身にとってとてもインパクトがあったヤマアラシのジレンマを引合いにだしてよく話していましたが、後に、こうした思い込み(イメージの擦り込み)のことをヤマアラシと呼ぶようになっていきました。

Beコンを心がけていると、人の思いにはパターンがあり条件反射的に一定のパターンを繰り返していることを発見すると思います。

Beコンがうまくいかない、現実がしっかりとした固い型にはまって動かし難く感じるときに、その擦り込まれたイメージに大きく影響を受けている可能性があります。
そのイメージが本来の希望を邪魔しているのならば訂正するのが良いのですが、訂正するためには、まず発見しなくてなりません、発見して精査のテーブルにのせてしまえば、訂正はとても簡単なことが多いです。
ポイントは訂正の段階ではなく、発見することで、そのためには、それを見つけようと意識していることが重要です。
多くの場合、訂正が難しいのではなく、発見が困難なのです。

ヤマアラシを発見し訂正する作業はBeコンに不可欠な作業です。
心がけていると、人生にはヤマアラシがたくさんあります。
「人生ヤマアラシ」

そして、もしかしたら人生そのものがヤマアラシと感じる時がくるのかもしれません。
「人生ヤマアラシ」

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