神対応
有名なスポーツ選手が試合の後疲れている時に、あるいは芸能人がプライベートでいる時なのにファンの人にサインをしたり、一緒に写真に写ったり丁寧に対応している姿を「神対応」などと言ったりします。
実は、今回の話しはそうした意味の神対応の話しではありません。
言葉が妙に面白かったので、話しの糸口として「神対応」の言葉を借りました。

お伝えしたいことが分かりやすくなるよう神対応に対して「人対応」という言葉を使います。
SNSで神対応という言葉を見かけて、ふと思ったのですが、私たちが生きていく中で直面する困難さはつまるところ「人対応」から来ているのではないか、と頭をよぎりました。
私たちはこの次元に生まれてきて、様々な困難に出会いながら答えを見つけ成長するというゲームをしているようなものですが、現在ではそのカンニングを許されているようで、宇宙の存在や高次元の存在がいろいろなことを教えてくれています。
答えを教えてくれているのですが、私たちが頑固に「いや、それは違う」と言って受け入れようとしない、そんな感じに現状を観察しています。
せっかく高次元の人達が、様々なことを教えてくれているのに、慣れ親しんだ考え方、染みついた感覚と一致しないためにどうしてもそれが本当に思えないでいます。
頭では理解できていても日常生活の中では、今までの考え方に基づいた態度をしてしまいます。
私たちは無力な人として生きるのか、本質的に神であるという感覚で生きるのか、選択です。
無力な人として生きるのが「人対応」、本質的に神であるというのが「神対応」です。
私たちの日常は「人対応」をするのか「神対応」をするのか選択です。
自分が神である、という人生が現れます。
自分が神であるという思いで生きれば自分が神である人生が現れます。
人であると思っていれば、今まで体験してきた人生です。
少し勉強すれば、自分が本質的に神であるとすぐに分かります。しかし、生まれてからずっと自分が人であるという考えを押し付けられてきました。
時代が押し付ける考え方と自分が学んだ考え方にギャップが生じます、このギャップを乗り越えて新しい信念に従って生きること、つまり古い信念と新しい信念のせめぎ合い、私はこれがハルマゲドンであろうと感じています。
ハルマゲドンは最終戦争と訳され、この世の終わりに最終的な戦争が起きるとイメージされていますが、その戦いはミサイルを売ったり爆弾を落としたりする戦いではなく、一人一人の心の中で起きる最後の戦いであろうと思っています。
つまり、今まで思い込まされてきた通り「自分は人だ」という信念で生きるのか「私は神とひとつである」という信念で生きるのかこの戦いです。
私たちは人間としてパラダイムを上げる直前にいます。
次元上昇などと言っていますが、その中心となるのは思いです。
ある思いから違う思いに変わるその中心が自分を運命に翻弄される人と考えるか、人生を創造している神と考えるかその違いです。
その転換への最後の葛藤がハルマゲドンです。
人生において「人対応」でいくのか「神対応」をするのか、多くの人にとってこれから課題になると思います。
自分が神とひとつであるという人生にどのような問題があるでしょうか。
自分が神とひとつであると思うことに遠慮しないでください。
尻込みをする必要もありません。
これからは、自分が神と一つであると自覚して、何事にも「神対応」でいきましょう。
以上