つい先日、中学の同窓生のお葬式に列席しました。
自分の同窓生が自殺とかではなく、亡くなるというのはいろいろ感慨のあるものです。
久しぶりに会う友人も多く、終わった後で軽く飲みに行くことになりました。
こうした状況では大抵そうなるのですが、初めのうち、故人を偲んでしめやかに飲んでいるのですが、少し時間がたつと通常の飲み会と変わらなくなります。
普通にワイワイ盛り上がってしまいます。
以前、こうした状況を「・・飲んでいるうちに普通の飲み会と変わらなくなりますよね」と床屋さんに話したことがあります。
床屋さんは髪を刈りながら「そうですよね・・あれ嫌ですよね・・」と話していました。
私としては、少し違った意味合いでの話の糸口だったのですが、床屋さんとしては、人が亡くなっているのに、ちょっと不謹慎じゃないかととらえたようでした。
私は、ただうなずくしかなかったのですが本当は以下のような思いがありました。
心の深い部分では知っている
私としては、人が亡くなって、いつまでも悲しんでいるのではなく、なるべく早く元気を取り戻すのは良いことだと思っています。
お葬式後の飲み会で、みんなが楽しそうに話しているのを見ていると「みんな心の深い部分では知っているんだろうな」と思えてきます。
生まれて今まで受けてきた教育では、死んだらおしまい、跡形もなくなってしまう、と思い込まされて来ましたが、心の深い部分では、人は死なない、と知っているんだろうなと思えてならないのです。
このブログを読んでいる方は、人は死なないということを知っている方がほとんどだと思います。
頭では理解している、という感覚かもしれませんが、心の深い部分でそれを知っていて、頭の理知的な部分でも理解している。
ただ社会生活的な意識の部分で、死んだらおしまいという感覚で暮らしている状況の方が多いのだと思います。
簡単に証明ができる
実は、人が死なないということは簡単に証明できます。
それなりの理解力が必要ですが、証明自体はとてもシンプルなことです。
宇宙には時間がない、永遠の今があるだけ、ということを聞いたことがありますか?
過去から未来へ一定方向に流れていくような、私達が認識するような意味での時間はない、ただ永遠の今があるだけということです。
そう思えるには多少理解力がいるでしょうが、このブログを読んでいるような方なら、頭では理解できるという方も多いのではないでしょうか。
このことが理解できれば、後はシンプルです。
宇宙を貫く、経過していく時間はない、常に永遠の今があるだけ。
時間の経過はない、今があるだけだとすれば、今あるものは永遠だということになります。
私が、今、存在している、だから私は永遠の存在、ということになります。
ついでにですが、生まれ変わりは?
時間なければ、生まれ変わりや過去生についてはどうとらえればいいのでしょう。
過去に生きた自分も今生きている、ちょっと矛盾に感じますが矛盾を回避できる結論は二つです、一つは「生まれ変わりなどない」もう一つは「すべてが自分」二つの結論は矛盾しません。
時間があると仮定している状況で生まれ変わりと感じているような生まれ変わりは本来存在しないことになりますし、すべては一体であり、宇宙に存在するのは1人だけということになります。
だとすれば、人が死なないのは、当たり前ですよね。
というか、人は死ぬのか、死なないのかという疑問自体がちょっとピントはずれに思えてきませんか。