前回の記事の中で「実は、このワープのような移動方法がBeコンと関係があるのですが、長くなるのでこれについては回をあらためます。」と書きました。忘れてしまうといけないので、さっそくそのへんのことを書きます。
これは前回の記事の中で、宇宙の人たちの常識では惑星間を行き来するのにロケットを使うという発想はありえず、通常ポータルやワープのような方法を使いますといった文に続いて、このワープのような移動方法がBeコンと関係があると伝えました。
「Beコン」思いをコントロールして望む現実を創ることとワープがどのように関係しているかですが、実はとてもシンプルで簡単なことで、その辺を理解することがBeコンにとても役立ちます。
根本に近づくほど理論はシンプルになる
何かを説明する場合、根本に近づけば近づくほど理論はシンプルになり、そのシンプルな理論で多くの事柄が説明可能になります。
逆にいえばシンプルで多くの事柄が説明できる理論は根本や本質をとらえていると言うことが出来ます。
その意味で、これからお伝えすることはシンプルで根本的なことで分かりやすいと思うのですが、私が周りの知人に話した経験では、やはり今までのM20的な常識が邪魔をして伝わりづらいケースが多いということも感じています。
シンプルに腑に落ちるという方と「それはおかしい」「現実的には違う」「荒唐無稽だ」などと感じる方とに分かれます。
読んでいただく皆さんは、どうでしょう。
波動でとらえる
それではまず、ワープと言いますかテレポーテーションといったほうが良いと思いますが、その理論です。
例えばですが、台所にリンゴが置いてあるとします。
そのリンゴを居間のテーブルに持ってきたとします。
台所にあったリンゴと居間に持ってきたリンゴは同じものですが、これを波動的にとらえると少し違っていて、台所にある時は台所の波動と同調しているので台所にあるリンゴの波動ですが居間に持って来られたときには居間の波動と同調して居間にあるリンゴの波動になっています。
ですから台所にあったリンゴと居間にあるリンゴは微妙に波動が違うことになります。
それでは、もしリンゴの波動を微妙に変更できる装置があったとして、台所に置いてあるリンゴの波動を変更して居間にあるリンゴの波動に調整したらどうなるでしょうか。
台所のリンゴは瞬間的に居間のテーブルに移動します、これがテレポーテーションのメカニズムです。
台所にも居間にもリンゴは無い
ここでもう一つの観点を提供します。
台所にリンゴがあるとします、居間にリンゴを持ってきたとします、などといいましたが台所にも居間にもリンゴはありませんとも言えます、どういう意味でいっているかと言えば、リンゴを細かく分解していけば、分子、原子、素粒子と細分化できます、そうした目で根本を見つめると究極的には何かの振動、つまり波動があるだけなのです。
リンゴとリンゴが置いてある台を隔てるものは何も無く、ただ同じ何かの波動の連続です。
同様にリンゴとリンゴを取り囲む空気を隔てるものもありません、ただ同じ何かの波動の連続です。
何かのエネルギー的な振動を何か物があると認識して生活する領域に私たちは意識をフォーカスして暮らして(体験を楽しんで)います。
リンゴがあるように見えて、ある意味何もない、般若心経的にいえば「色即是空」です。
しかし、私たちの生活感覚としては、無いものが存在しているように感じる「空即是色」です。(*1)下で説明
テレポーテーションはリンゴを物質としてとらえていると無理があるように思えますが、波動としてとらえれば、あるのは波動で、その波動を私たちの感覚器官や脳を使って台所にリンゴがあると認識しているのです、波動が変われば、居間のテーブルにあるという認識に切り替わります。
単純にそれだけです。
Beコンも同じ
Beコンも同じです、希望を実現していない自分と実現した自分は波動的に違います。
波動を微妙にコントロールできたら、希望を実現した自分に本来は瞬時に変わります。
BeコンはDoに対してBe、つまり「在り方」をコントロールすることと言っていますが、在り方のコントロールとは、そうした波動的なコントロールということができます。
在り方は波動的な表現であり、在り方と波動は同じです。
いかがでしょうか?
テレポーテーションのようなことと思いの実現が同じシンプルな原理で説明できるのですが、ガッテンしていただけました?
テレポ-テーションなどと言うと荒唐無稽のように感じますが、実は案外身近なものだと思っています。
こうして書いていると、テレポーテーションから広がる話を書きたくなるのですが、長くなるということと、他にも理由があり今回は書きません、次回書くかずっと後で書くことになるか、あるいは書かないか分かりませんが成り行きにまかせたいと思います。
今回はこのへんで終わります。
*1 般若心経では、私たちが物質、ものがあると認識するものは、みな色があるということから物質的なものを「色」と表し、実態が何も無いものを「空」と表しています。
「色即是空」「空即是色」は、色(しき)は即ち(すなわち)空(くう)であり、空は即ち色となる、といった意味です。