もし、人生をあの時点からもう一度やり直せたら。あの時、余計な心配をして決断をためらってしまったけど、思い切って決断していたら。
あるいは、あれを断る勇気があったら。もっと頑張っていたら。思い切って打ち明けていたら。
などなど、後から考えると悔いが残るのが人生です。
弱気だったり、怠けていたり、目先のことにとらわれたり、などなど様々な理由で、自分が持って生まれたポテンシャルの半分も発揮していない。
もっとしっかり生きれば、人生はもっと良い状態にあったはず、自分自身が本来そこまで行けたはずのポテンシャルの半分はおろか十分の一にも至っていないのではないか、そんな風に思うことはありませんか?
「過ぎたことは、どんなに悔やんでも取り返しがつきません、これから先そのような場面を迎えたときに、今のその忸怩(じくじ)たる思いを教訓にして、決断をすべきです。もうこれからは後悔しないぞと心に決めるのです」
(笑)
上の「カッコの中」の赤字の部分は冗談です。というか、20世紀に良く言われていたスタンスですが21世紀の今、Beコン的には全然違ってきます。
判定基準が変わったら
もし何かの状況が後悔に値すると思えるのでしたら、きっとそう思うに当然の判定基準があると思います。
抽象的ですが「右が正しいのに、左に来ている」とか「赤くなくてはいけないのに、まだ黄色い」など自分の状況を、ネガティブに判断するその基準となる価値観があり、私たちは、その基準に照らして「失敗した」「良くない」などと判断しているのですが、20世紀的な思いの中では、このような基準となる価値観をほとんど意識することはありませんでした。
右が正しいのは当たり前でしょう。赤くなくてはいけないに決まっているでしょう。といった感じで、無意識的に価値観を受け入れていました。
仮の話しですが判断の基準が変わったらどうでしょう、例えば「右でも左でも良い」「黄色が良い」となれば上記の人は、うまくいっている、ということになります。
今まで無意識的な判定基準に照らして「うまくいった」「失敗した」と決めてきましたが、判定基準を意識して「うまくいった」「失敗した」を判断してはどうでしょう。
つまり、こうした判定基準でいうと「失敗した」になり、それがこうだったら「うまくいった」になる、のような考え方です。
少し面倒くさいような気がしますが、そんな見方で自分の思いを精査していると、良い・悪い、成功・失敗を判断する前提となる判定基準をささえる「価値観」に気が付きます。
(ワークショップのようですが)ちょっと試してみましょう。
これを読まれている方に私が問いかけます。
私「○○さん、色々なことがうまくいっているようですね」
○○さん「いえ、そうでもないんですよ」
(勝手に答えを決めるようですが、この文章に目の留まるような方は、うまくいっていないと感じている方が多いと思うので、そう書きましたがうまくいっていると感じていても同じです)
私「どの様な感じなのですか?」
話したい内容を心の中で話してみてください。
たぶん、良い・悪い、うまくいっている・うまくいっていない、などの判断があると思います。
良い・悪い、うまくいっている・うまくいっていない、などの感じ方はさておいて、その基準になっている価値観を探ってみます。その価値観を特定して、いろいろな角度から眺めてみてください。
この価値観はいつごろからあるのか、どのようにして私の思いに定着したのか、いったい本当だろうか、等々、気楽に笑い飛ばすように、突っ込みを入れたりしながら、様々な角度から眺めてみてください。
そんなことをしていると、判断基準を作り出していた価値観にさしたる根拠がないように見えてきませんか。
子供のころ、親や学校で擦り込まれた価値観だったりすることも多いですし、大人になってからは尊敬あるいは敬意を持つ人の言葉だったりします。
また、その根底に恐れがある場合も多々あります。
これこれこうじゃないと、こんな風に(ここに恐れが入ります)なってしまうよ、というものです。
判定基準を見直す
ここでのテーマは、判定基準を見直すということです。
さしたる根拠もなく受け入れた、判定基準によって、良い、悪い、成功、失敗を決めていては、人生が定基準に翻弄されてしまいます。
成功哲学や引き寄せの法則がうまくいかないと感じている方は、この判定基準に目をむけるのが有効だと思います。
Beコンの場合、もう一歩踏み込んだ理解が必要なのでその解説をしたいと思いますが、文章が長くなったので、回を改めて、次回の説明にします。